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2014/08/29 Fri  12:52:05» E d i t
今月の新刊。
景勝関連の本を検索してもそんなになくて、その上中古でしか買えなかったりもするので、新刊は嬉しい。
著者のあとがきには、「これまで描かれてきた上杉景勝らの人物像が歪んでいたことや、関ケ原合戦に至る経緯が複雑であったことを感じ取っていただければ幸甚である」と書かれている。

今回は読み返しつつ、メモを取った。
どうしても通説の印象が強いので、それが創作なのかがそうでないのかがわからなくなっている。
とりあえずこの本から起こしたメモに、今後加筆修正していって自分なりの上杉景勝についてのまとめが作りたいなんてね。
なんだか季節柄夏休みの宿題をやってるみたいな感じで、ちょっと楽しい。

三成との事前盟約はあったか?
「直江状」の真偽
「小山評定」はあったか?
等々、この本は淡々と資料を読み解き結論を導こうとしている。
ただ編纂物が拠り所になっている箇所もあるので、どの話も同じような粒度で捉えることはできないとは思う。

現存する「直江状」については、肯定的・否定的見解どちらも「讒人(堀直政)の究明を条件として景勝が上洛する」といった内容は共通のようだ。
堀直政は堀秀治の家老で、上杉に謀反ありと家康に報告している人物。
「直江状」の真贋はともかく、様々な書状の日付などから慶長5年(1600年)4月1日に西笑承兌が兼続宛の書状を書いた時点で、家康は景勝が上洛しないことを前提に準備を始めていたと考えられるらしい。
家康にとって上杉は脅威だったろうし、なんとか掌握したかったろう。
どの大名も東西どちらの陣営に属するかは情勢を見据えながら腹の探り合いをしていたようで、景勝にしても家康との間で婚儀の話もあったとか。
婚儀に至らなかったのは景勝が毛利輝元との関係を考慮してということもあるようだけど、その輝元が西軍の総大将でありながら家康と家存続の条件で不戦を貫いたらしいから、景勝は情勢を見誤ったということなんだろう。
それも三成との事前盟約はなかったという前提にはなるけど。


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