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2015/06/14 Sun  16:13:46» E d i t
 » 放送大学の面接授業 
相変わらず、ぼちぼちと面白そうな授業をとっている。
今学期は3科目申請したものの登録できたのは、『三河松平氏から徳川将軍家へ』のみ。
2コマずつ全4日間で、授業は三河松平氏・徳川氏が「どう勢力を拡大していったか」と「織田信長、豊臣秀吉との関係」を軸に進めていくようだ。
第一日目の昨日は松平氏発祥譚から松平氏が領主となるまで。

松平氏に関する史料は、当事者やそれを見聞きした人が書いた同時代資料は存在しない。
二次史料としては、江戸時代に書かれた「三河物語」と「松平氏由緒書」が古い。
「三河物語」は大久保彦左衛門忠教(ただたか)が書いた恐らく松平氏史料としては最も古いものであるが、大久保家がいかに徳川家に尽くしたが書かれており、松平氏が必ず天下を取る家とした松平中心史観で描かれているため事実が曲げられている。
松平氏由緒書(17世紀後半)は松平太郎左衛門家に伝わったもので大坂の陣までが書かれていて、昭和50年代になって公表された。
他には、徳川家創業の事跡を後代に伝えるため幕府の命により編纂された史書「朝野旧聞裒藁(ちょうやきゅうぶんほうこう)」があるが、膨大で講師も全部は読んでいないそう。

松平氏の研究はこの10年で非常に変わってきていて、「松平氏中心史観」から脱却しようとする方向とのことだ。
①親氏(三河物語での名)は時宗の僧侶だったが、松平に婿養子に入り松平太郎左衛門と名乗ったが、有徳人(支配者ではない)と呼ばれる存在だったのではないか?
三河物語では周辺を征服したとあるがそれは考え難く、松平氏由緒書からどうやら買い取ったと考えられる。
②泰親(親氏の弟)の時代に、伊勢氏との関係を持って代官となったのではないか?
③信光の時代、寛政6年(1465)に岡崎あたりの一揆を討伐し、伊勢氏からその褒賞として幕府直轄地を所領として与えられ領主となった。

これまでは毎週通うのが面倒臭く思えて土日集中型の授業ばかり取っていたのだけれど、土曜日10時から13時ちょいまでって丁度いい長さかも。
どうせいつもだらだら過ごしている時間帯だしね。

コメント
この記事へのコメント
わぁ、面白そうな授業♪と言いたいけど、、
私には難しそうで頭がジーンとなりそうな~(汗)
漢字がイッパイですニャ~(汗)
ミケさんの興味ある授業が取れて良かったネ!♪

私は、もっぱら庭の修復・花々に夢中でTVも見ずに外に出てる日々、手が日に焼けましたー^^目の調子は良くなったかも♪

2015/06/15 Mon 06:15:41
URL | OYAMA #JalddpaA Edit 
正直徳川家まで辿り着かないと結構眠気との戦いになるかも(^^;

お庭で花の世話して過ごすなんて贅沢~。
私も最近はベランダで猫草育ててますw
2015/06/15 Mon 21:10:53
URL | ミケ #Pe0og0Jg Edit 
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